9回大会発表梗概および参考文献

テクスト研究学会

Japan Society of Text Studies

第9回大会発表概要および参考文献

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第9回大会発表梗概および参考文献

研究発表1
「瞳の力―Janet’s Repentanceにおける声の回復」

吉村 エリ(神戸女学院大学大学院博士後期課程)

本発表では、Janet’s Repentanceにおける瞳と声の描かれ方に注目し、ヒロインJanetが視線の力によって声を回復する過程を検証する。
 従来の研究は、Janetの飲酒を文化的背景から問題定義したものや、JanetとScenes of Clerical Lifeの他の2作品に登場するヒロインとの比較研究が主流である。しかし本発表では、先行研究の見地から離れ、Janet瞳と声の描かれ方に注目することによって、作品における視覚と聴覚の重要性を示してみたい。
Janetは、物語の前半では自由に弁舌を振るうDempsterとは対照的に、夫の意見に逆らったり、自己主張することもない。Dempsterの暴力にも無言で耐え忍ぶJanetは、まさに声を抑圧された人物である。しかし、Janetが徐々に自己の意思を声にできるようになり、最終的に改悛に至るまでの心理的変化には、彼女の瞳の力が大きく影響している。母親譲りのJanetの黒い瞳は、声とは裏腹に、その内面の強さを表すかのように印象的に描かれている。Janetの改悛に貢献したTryanとの間に交わされる視線を介した無言の会話が、抑圧されたJanetの声を回復させていく過程を分析し、この作品において、瞳の力がJanetに声を与える重要な要素であったということを証明する。

【参考文献】
Brady, Kristin. George Eliot. London: Macmillan, 1992.
Eliot, George. Scenes of Clerical Life. Ed. Jennifer Gribble. London: Penguin
Books, 1998.
Knoepflmacher, U.C. George Eliot’s Early Novels: The Limits of Realism.
Berkeley: California UP, 1968.
Yano, Nana. “The Figure of the ‘Dark Heroine’ in ‘Janet’s Repentance’”
白百合女子大学言語・文化研究紀要 2001. 


研究発表2
Mrs Dallowayにおける色とその政治性」

大西 祥惠(京都女子大学大学院博士後期課程)

Virginia Woolfは、「偉大な作家は偉大な色彩研究家(colourists)である」 (“Walter Sickert”, 182) と述べ、小説における色彩表現の重要性を指摘している。これは、ウルフが後期印象派展や同時代の画家や美術評論家から強い影響を受けたことと関係していると思われる。実際にMrs Dallowayでは、色の描写がきわめて意識的になされており、それらは装飾としての機能を果たしているだけではなく、そこにさまざまな意味が付与されていることが分かる。従来の研究では、色のイメージにおいて、同じ色調が繰り返し使われることにより、人々の共通意識が提示されていることが明らかにされているが、ここではさらに、対比的な色使いや、グラデェーションを伴った色彩描写などのさまざまな色彩描写がもたらす効果とその政治性について考察していくことにしたい。たとえば小説内では、Clarissa Dallowayのパーティの場面に代表されるような、多彩な色彩が共存する場面描写を通して、それぞれ異なる個性を持った個別の人物の存在が許容されていることが示されている。その一方で、それとは対照的に、人々の個別性を排除し、均一の色に染め上げようとする医師たちの動きは、支配階級を表す灰色の単一的で固定的な色使いによって提示されている。それゆえ本発表では、『ダロウェイ夫人』の中のこうした多彩で鮮やかな色使いと灰色の均一的な色使いとの対比、さらにはさまざまな工夫が凝らされていると思われる色彩描写を具体的に分析することで、階級の問題や心身の健康についての当時の医学思想、個人の守られるべき孤独である「魂の孤独」として提示される個人の尊厳などの問題と色との関わりについて考えていきたい。

【参考文献】
Beer, Gillian. Virginia Woolf: The Common Ground. Edinburgh: Edinburgh UP, 1996.
Bradshaw, David. “Introduction.” Mrs Dalloway. New York: Oxford, 1992.
Miller, J. Hillis, “Mrs Dalloway: Repetition as the Raising of the Dead.” Virginia Woolf Modern Critical Views. Ed. Harold Bloom. New York: Chelsea House Publishers, 1986.
Showalter, Elaine. “Introduction.” Mrs Dalloway. London: Penguin, 2000.
Woolf, Virginia. . Mrs Dalloway. New York: Oxford, 1992.
―. “Mr. Bennet and Mrs. Brown.” A Woman’s Essays : Selected Essays. Vol. 1. London: Penguin, 1992.
―. “Modern Fiction.” The Common Reader First Series. New York: Harvest, 1984.
―. “ Pictures.” The Moment and Other Essays. London: Hogarth, 1952.
―. “Walter Sickert.” The Captain’s Death Bed and Other Essays. London: Hogarth, 1950.
遠藤不比人「テクストの言葉は作者を裏切る―『ダロウェイ夫人』のレトリックを読む」『シリーズ もっと知りたい名作の世界⑥ ダロウェイ夫人』窪田典子 編 ミネルヴァ書房 2006.
加藤洋介『D・H・ロレンスと退化論―世紀末からモダニズムへ―』北星堂 2007.
丹治愛『モダニズムの詩学』みすず書房 1994.
深澤俊『ヴァージニア・ウルフ入門』北星堂書店 1982.
―『イギリス小説研究序説』中央大学出版部1981.
森晴秀 「Mrs. Dalloway覚え書き―ある文体論的アプローチ―」『イギリス現代小説Ⅰ』東海大学出版会 1988.
―「ヴァージニア・ウルフ―俳句―そして,ジョルジュ・ス―ラ」『ジャポネズリー研究学会会報6』ジャポネズリー研究学会 1987.


研究発表3

「多義性の〈深さ〉――ロラン・バルトにおける「コノテーション」について」

金谷 荘太(筑波大学大学院博士後期課程)

 「コノテーション(共示)connotation」は、論理学で言う「内包」(ある概念に含まれる諸属性)、そして「付加的・暗示的意味」(要するに含意)と一般的に理解されているが、フランスの批評家ロラン・バルト(Roland Barthes, 1915-1980)のキャリアを語るうえで、この二次的な意味作用が果たした役割は大きい。バルトのキャリアのなかでコノテーションは、元々衣服や広告などに対する記号学的分析のために理論化されたが、70年代に入って彼の活動の重点が記号学からいわゆる「テクスト理論」へとシフトされると、意味が持つ複数性に結びつけられ(たとえば『S/Z』)、意味の「ずれ」や「横すべり」などといった「換喩的な」側面(隣接関係による意味の移動)においてこれまで捉えられてきた。
 文学作品や写真のイメージなど様々な対象をバルトは「付加的意味」として分析していた。本発表では、デノテーション(外示、字義的・明示的意味)の「仕方」という観点から、主に言語を素材としたバルトの分析にアプローチすることで、コノテーションが持つ「提喩的な」側面(包含関係による意味の移動)について検討する。そうすることによって、バルトの分析が依拠した多義性の根拠の一つとして「提喩性」が働いていること、すなわち包含関係による意味作用の「深さ」(垂直的次元)を提示したい。


研究発表4

「Henry James の “The Figure in the Carpet” における批評の可能性と限界―修辞的観点からの再考」

西村 智(中部大学教授)

 Henry James の “The Figure in the Carpet” は二十世紀後半において一部の批評家たちの間に過剰とも思われる論争的な反応を引き起こした。主要な反応はジェイムズ研究の方面からではなく批評理論の方面からのもので、この短篇を通じて「曖昧性」「文学作品の作用」「決定不能性」などの問題が論じられた。このようにこの短篇はある特定の批評家たちの間で特別な関心の対象となり、文学作品の意味の明晰性や安定性の概念を問題化する批評的寓話として扱われたのである。こうした事情を踏まえた上で改めて注目したいことは、この短篇自体は批評家の存在や批評という営みを揶揄しており、作者の存在や作品における作者の意図あるいは意味の重要性に注意を引いているということである。この短篇の登場人物の一人である小説家 Hugh Vereker は批評が作品の本質や作家の狙いから遊離しがちであることに批判の目を向けているが、言うまでもなく彼の見解は作家としてのジェイムズ自身が批評というものに対して抱いていた不満を反映している。だが、ジェイムズは、批評家が作家を尊重するような仕事をすれば両者の調和的共存が可能になると言っているわけではない。本発表で詳しく論ずるように、“The Figure in the Carpet” における作者擁護に含意されているのは、作者こそが作品の意味の起源であり権威であるという主張ではなく、小説家が小説家でありそして小説を書くのは小説でしか書くことができないことを書いているからであるという認識である。これは、修辞的観点から言えば、文学作品とは比喩的にしか表現できないものの比喩すなわち「濫喩」であり、ここに批評の可能性と限界があるということである。


研究発表5
Howards Endにおける「わたしたち」のありかた」

岩崎 雅之(早稲田大学大学院博士課程)

E. M. フォースター(E. M. Forster, 1879-1970)の『ハワーズ・エンド』(Howards End, 1910)の語り手は、自らを劇化した人物として物語を伝えている。この語り手は、多くの批評家が指摘しているように、論評者や解説者としての性格を強く有しており、読者に提示される視点を調節し、融け合わせ、支配する。フォースターは『小説の諸相』(Aspects of the Novel, 1927)で登場人物と視点の問題に言及し、幻想が消えてしまうために、語り手は登場人物の秘密話を読者との間でしてはならないと論じている。しかし、『ハワーズ・エンド』では、主人公のマーガレット・シュレーゲルの内面や、彼女に対する他登場人物の心理が語り手によって伝えられてしまうために、後年論じられるこの「禁止行為」が繰り返し行われている点を指摘することができる。十数年の間にフォースター自身の文学観が変化した可能性は否めないが、なぜこの「禁止行為」が彼自身の作品にあらわれているのか、また、自ら禁じ手として自覚しつつもこの手法を用いたとするのならば、それは作品にどのような影響を与えたのだろうか。この点に注目すると、語り手の発する「わたしたち」と読者、およびマーガレットを中心とした登場人物の関係性は、正統派文学の伝統にのっとっているものの、それまでの文学テクストが想定していたような読者とテクストの関係がもはや存在していないことに気づかせてくれる。
 本発表では、当時の出版状況および草稿と最終稿の比較を行いながら、語り手が発する「わたしたち」に注目し、登場人物たちの「声」のありようと読者との関係性を明らかにする。そして、この関係性が『インドへの道』(A Passage to India, 1924)に続く手法上の大きな変化の一環であることも示したいと思う。

【参考文献】
Bakhtin, M. M. 『小説の言葉』 Ed. 伊東 一郎. 東京: 平凡社, 1996.
The Cambridge Companion to E.M. Forster. Ed. David Bradshaw. New York: Cambridge UP, 2007.
Colmer, John. E.M. Forster: The Personal Voice. London: Routledge & K. Paul, 1975.
E.M. Forster. Ed. Harold Bloom. New York: Chelsea House, 1987.
E.M. Forster: Critical Assessments. Ed. J. H. Stape. Mountfield near Robertsbridge, East Sussex: Helm Information, 1997?.
Feltes, N. N. Modes of production of Victorian novels Chicago : University of Chicago Press, 1986
Forster, E. M. Howards End. London : Edward Arnold, 1973
Furbank, Philip Nicholas. E.M. Forster: A Life. Oxford: Oxford UP, 1979.
Kirkpatrick, B. J. A Bibliography of E.M. Forster. 2nd. ed. ed. Oxford: Clarendon Press, 1985.
Lodge, David. The Art of Fiction: Illustrated from Classic and Modern Texts. London: Penguin, 1992.
Medalie, David. E.M. Forster's Modernism. New York: Palgrave, 2002.
Feltes, N. N. Modes of production of Victorian novels Chicago : University of Chicago Press, 1986


研究発表6
「孤独と社交―アニータ・ブルックナーの『家を出る』の一人称の語り」

 川崎 明子(駒澤大学専任講師)

孤独をテーマとすることが多いブルックナーの小説でも、『家を出る』(Leaving Home, 2005)は、テクスト全体が孤独を感じさせる。語られる主人公が孤独であるのみならず、主人公の語りそのものが孤独だからである。若い女の主人公は、他の登場人物に書く手紙や、パーティや不動産購入などの際に他者と交わす会話では、十分社交的で、適切な言語行為により自分の希望を実現する能力を備えている。翻って地の文における彼女の語りでは、修辞的・編集的能力を発揮せず、読者とのコミュニケーションという面で彼女の孤独が強調される。このことを、同じく孤独な女主人公が自分の経験を語るが、その語りにコミュニケーションへの意志が見られるブルックナーの『私を見て』(Look at Me, 1983)や、テクスト内で唯一題が言及される小説で、孤児が主に言語行為でもって社会に居場所を見つけ、その高い言語能力を読者にも発揮する『ジェイン・エア』(Jane Eyre, 1847)の一人称の語りと比較しながら分析し、『家を出る』において、語られる内容と語る様式のテクストの二つの位相で孤独が支配していることを証明し、一人称の語りの可能性を検討したい。